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藤岡 美保

無為の為

たまたま。

自分の本当にやりたいことについて話をしていた時の本音、「もしかしたら、本当はこのことをやりたいわけではないのかも。何故なら、絵を描くとか刺繍するとか、それって今純粋になんのプレッシャーもなくやりたいことだから」と言ったあとで、「でも、伝えたいことはあるのです。人が求めているわけではない、(私の)ぬり絵や刺繍は私だけの望みの物。そうではなく、伝えたいものは、人に届けば苦しさが減ったり、納得くしたりするものだというのはわかっているので」。

彼女はそう言って、その後「だから自問自答しながら、それを淡々とやっていくんです」と言った。


そのことをタリカに話すと「それは無為の為だ」と言われた。


無為の為(ムイノイ)。

なんだそれは?!


何も為さずして、為している・・・何この言葉の矛盾。

老子や荘子の思想に通じている(らしい)。そう、らしいとしか言えないのですが。

この言葉の真意は、何かをしようというコントロールを手放して初めて、しようとしたことが為す、と。

テストで順位の目標を設定して努力すること、就活して内定をもらうこと、素晴らしい企画を作って人に来てもらうこと、素敵な物を作ってたくさん売れること、なんでもいいんだけれどそれらはdoingという為すこと。

その中で、それらを為そうとする自分がなくなって、順位とか、あの企業に入らなくちゃ周りはどういうかとか、企画倒れになったら、売れなかったらとかだから努力するんだとか、たくさんの、色々な「動機」があるわけだけど、そういうことから離れて、ただそれを為そうとする自分がなくなって、その行為だけが残った時、事は為されるといっているらしんですけど???


行為するのは自分だと思っている限り(この辺りの理解が本当に難しいんだけど)、これは納得できない話。


翻って、先の話のどこが無為の為かというと、その話を最初にしてくれた彼女は自分の「仕事」をどうしてやろうとしているのか、自分でもよくわからない、でも長い期間そのことに携わってきたわけです。決して楽しいことばかりではなく、辞めてしまいたいこともあったし、今でも手を引くことも時々考えるのだけれど、それでもこれは人のために役に立つという思いから、どうしてもかかわって行きたいと思っている。ぬり絵や刺繍の方が余程、やりたい!時間を取りたい!と思っているにもかかわらず。

結局、ああだのこうだの言いつつ、「淡々」と自分の心に沿って行くということが無為自然につながるとタリカは言いたかったのかもしれない。その無為自然に向かっていく時、時に、無為の為がふいに訪れるのかもしれない。


これをやっていていいのだろうかとか、こんなやり方以外にないのかとか、本当に色々思ったり感じたりするのだけれど、それは全部未来に通じていて、それは良いことかもしれないけれど、未来は予測で、予測は不安を連れてくることがある。

何かを為そうとすることを手放すことでこそ、自然に為されてしまうというのは、日常の現実からは遠い出来事のような気がするけれど、結果を求めない、理想を求めない、あるがままに受け入れるという意味でこれを考えると少しだけ理解が出来る気がする。


アレに拘り、コレでなくちゃダメだと思いコントロールを激しく行っている日常を、「無為の為」を通して眺めてみると、なんてたおやかで安定しているのかと言う気がしてくる。それは、待つということにも通じる。何でもかんでも思い通りにしたいという自分も含めた人は、思い煩うことが多すぎるかもしれないね。

何か(はっきり書くとグレートサムシングなんだけど)を信頼し、そこを頼り、やっていくってことなんだろうなあ。しかも、そうすると為されちゃうんだって、すごくない?!


例えば、大人に向けて絵本を読む会を始めたのですが、まさかの絵本専門店さんに読んでもらってそこで、そういう会が出来るというのは、無為の為に近い??

売り込んだわけでもなく、別所でやっていたのをお声がけしてもらったわけなんですけど、ね。


これは例になるかどうかわからないけど、先日スーパーでドリアンを売ってたんです。4000円。子どもが食べたいなあ、でも高いなあ(本人が支払うつもりだったのは、流石というほかない(笑))どうしようかなと言ってたんですけど、今日スーパーで特売の1000円に!

ええ、購入しましたよ。すっかりその時までは忘れてました。

あ、これは違う?勘違い?


でもまあ、何かがまわりまわって、そのチャンスをくれた気もする。


行為するのは自分だと思っている限り、これは納得できない話。


なるようにしかならない、と言うのもこれに近い気がします。

~であるべきだという思いが強い自分にとってはそれは、自分を観る良い言葉でもあると思います。

努力しない、手放すって聞くとなんだか、足元の地面がふわふわになって心もとないのだけれど、元々そんなものないのが生きることなんだろうな。







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