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藤岡 美保

受け止めるその先



今年もシャベル、フォローの会は私にとって自由に言える居場所でもあります。

人と傷つけること、いじわるすること、無意識の敵対感はもちろん論外ですが、そこで「あなたはそうなんだね」と言ってもらえる場所があることは望外の幸せです。




家族を受け入れることがとても難しい時があります。ネガティブの波にのまれて沈み込む家族を慰撫し続けるときの心配や絶望感は書籍でもネットでも目にするし、実際に聞く、実感すると苦しくなります。


元々ある程度自分でいろんなことに対処してきた者にとっては(それが抵抗でも、あきらめでも、戦いでも)、身近な人に「自分のことは嫌い」と言い放たされるときのショックはとても口では言い表せないものです。

自分の持つあらゆる力で解決に向けて対処できない、自分にその能力がないという事実に凍り付く。


でも実はひとつだけ手にしていない対処方法が残っていたのです。

自分に何かできるという思い込みを捨てる、という対処方法です。

いわくsarennda、降伏です。私が躍起になるのではない、ネガティブを感じる人を認めること。


「自分が嫌い」「何をやってもダメ」という否定的な想いを受け入れることはとても難しい。でもそれが目の前のその人の丸ごとの真実なのであって、そこから始めないと全てがこちらの思い込みであり、空中楼閣です。


のたうち回りたい苦しみを感じながら、泣きながら、どん底の気持ちを味わいつつも受け入れようともがくその人の潔さを知るにつけ、励まされ希望を感じざるを得ません。


親から負の感情を受け入れられる子どもがじるものにつける名前を、愛というのかもしれないと思った次第です。




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