top of page
検索
藤岡 美保

息を吸うように囚われる

先日あるワークで誰かが言って、本当にそうだなあと心から同意した言葉。

「息を吸うように囚われる」。

四六時中、そうなんだなあ。


囚われというのは、拘りでもあるし、気にかけていること、その人が大事にしていること、または長所のやり過ぎとも言えるそうで。


宿題、勉強、家事、仕事などやらなければならないことを先に済ませないと楽しめないというタイプの人がいる。反対に好きなことをやって楽しんでテンションを上げてからでないと、mustに取り掛かれないタイプの人がいる。

一般的には前者の方が「良い習慣」と思われているから、前者が後者に強く出る傾向にあると思う。親や上司、教師は特にやいのやいの言ってくるかもしれない。後者の気持ちや状況には無頓着に。

それが良いと思うことは、それが大事だと思うこと。気にかけていること。こだわり。そして囚われはそれらのやり過ぎで、人間関係や自分自身を壊してしまうこと。


だからこそ、その人の立場に立つということがとてもとても大切になってくる。


自分に直接かかわらないこと、立場上(生徒や教師、親や子)でも関係ないことでも、ある人の辛い思いを知った時、両天秤の真ん中宜しく、そうなった別方の事情を聴いてしまいたくなることがある。

その動機はタイプによって変わるだろう。

一方の人が好きで味方したいから事情を深く聞きたいということもあるし、何が起こっているか興味があるから聞きたいこともある。両者の言い分を正しく聞いてジャッジしたいという理由もあるだろう。


どんな動機があるにせよ、自分の動機を知っておかないと、理性も吹っ飛び、勝手に間に突っ込んでしまい全部ぶち壊すこともあるかもしれない。

モヤモヤは、自身の動機と繋がっていて、それが暴走することが囚われ。

モヤモヤの中身を自分の中から取り出して眺めてみることが、囚われの正体に気付くこと。


でもやり過ぎないって、本当に難しい。

あっという間に、日常中ではやっている。もの言い、態度、やるやらないの選択。

もう、これは意識の範疇を越えているような気がする。

でも、人との関係でこの時には暴走してはいけないと思う瞬間があるはず。その時こそ止まる。そのために、自分の囚われを誘う動機については知っておいて損はないはず。



閲覧数:11回0件のコメント

最新記事

すべて表示

身体感覚

Comments


bottom of page